学生時代にリュックひとつで世界に飛び出し、実際に足で歩いて、見て、感じた世界感が今の自分を築いています。
常に立ち止まることなく、何か社会に役立つことをと思いながら、いつも斬新な発想でプロジェクトを進めています。
盆栽は元々中国の唐の時代の盆景に始まり、日本には平安時代に入ってきました。江戸時代には栽培も盛んで、明治時代まで粋な趣味としてもてはやされ
てきましたが、ライフスタイルの変化により、国内での人気は下火となっていきました。国内需要は徐々に減る一方で、1970年代以降欧州での盆栽の需要は
拡大していきました。西洋では盆栽は芸術品として認識され、輸出も比較的容易なことから一気に広まっていきました。
元々フランス語の通訳から始まった盆栽事業ですが、当初は欧州以外のお問い合わせはほとんどありませんでした。
しかし現在では赤道を越えた南米からもお問い合わせがくるようになりました。
植物の輸出には大変厳しい検疫というハードルを越えなくてはならず、中にはワシントン条約に抵触するものもあり中々成約に至らない事も事実ですが弊社は盆栽の魅力を世界に広めるために日々努力を重ねています。
ある盆栽の輸入業者の紹介で知り合ったイタリア人の依頼で日本庭園を造園したことが造園事業の始まりです。日本から造園師5人を連れてイタリアに1ヵ月滞在し創り上げた庭園は、その後何度も日本で放映されました。これを機に世界各国から依頼を受けるようになりました。
実績としてはイタリア・スペイン・オーストラリアなどがあります。
リトアニア
リトアニアのバルト海に面した避暑地パランガに桂離宮を真似た回遊式の日本庭園内に、宿泊施設、会議室、文化ホール、日本レストランを取り入れた一大プロジェクト。
発案者は日本文化に大変憧憬が深い医師。現地よりの召喚を受け、建機オペレーター、庭園技師都と共にリトアニアに赴いた。
厳寒の土地の見地、樹木の選別・移植を確認して図面を作成。
現在英国の観光開発会社が名乗りを上げ最終段階に入っている。
オーストラリア(モナシュ大学石庭)
メルボルン近郊のクレイトンに本部を置くモナシュ大学は1958年に創立されたビクトリア州の大学です。
この大学の構内に日本庭園を造りたいという依頼があり、総勢7名で現場に向かいました。大学側の要望もあり、自然のありのままの姿こそ完全な美であるという哲学のもとに、水を用いることなく砂や石で山水を表現した枯山水の庭園としました。
イタリア(クレマンテ邸の庭園工事)
日本人を妻に持つイタリアの実業家からの依頼で訪れたのは、ミラノから北に35km、閑静な高級住宅地ヴァレーゼ(Varese)にあるクレマンテ邸。
遠く日本を離れて暮らす妻のために日本庭園を造ってほしいということでした。
敷地内に蛍が生息していたこともあり、生息環境を考慮して滝を造り、その滝から水が流れ落ちる池を造成し、池の周りにツツジやタマリュウなどの日本の植物を配した庭園に仕立てました。
スペイン(タラボナのミストラル邸の庭園)
陽あたりのよい室内に水の流れを取り入れた日本庭園。
階段沿いの傾斜を利用して水を巡回させ、現地調達した植物と日本から持ち込んだ灯篭などの石材を配して庭に仕立てた。